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Tuesday, September 1, 2020

移民は欧州をどう変えたのか 大規模流入から5年 - bbc.com

ギャレス・エヴァンズ、BBCニュース

Image shows refugees arriving on the shores of the Greek island of Lesbos in October 2015

5年前、100万人を超える人々が欧州に渡った。多くが紛争から逃れ、よりよい暮らしを求めて、多大なリスクを冒して危険な旅へと踏み出したのだった

しかし、そうした人々の突然の流入は、対応に苦慮する欧州で人道的、政治的な危機を生み出した。海岸にたどりつくまでに何千人もが死亡。温かく迎えた国があった一方で、柵を建設して国境を閉じた国もあった。

大規模な移住の影響は、現在も見て取れる。今回、BBC特派員、専門家、旅を実行した本人たちが、当時の劇的な状況を振り返った。欧州、そして関係者の生活は、どう変わったのだろうか?(敬称略)

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こうして始まった:「未来はないと思った」

ララ・タハン(シリア人教師):2011年の内戦までは、とてもいい暮らしを送っていました。アレッポの数学教師で、2人の子どもがいました。でも内戦が始まると、シリアに未来はないと思いました。車を運転して出勤するとき、道路わきに死体を見るようになったんです。それでトルコに逃げました。当時はそれが最も簡単な選択肢でした。

マーク・ロウエン(トルコ特派員、2014~2019年):シリアで内戦が起こると、トルコが移民ニュースの最前線となりました。国境をギリシャとブルガリアと接しているトルコは、いろんな意味でEU(欧州連合)の待合室でした。2015年にはシリアからトルコ、そしてギリシャへと移動する人々の大きな流れができていました。

ジュリアン・ミグリエリニ(BBC記者、ローマ):イタリアでは長年、移民が大きな問題になっていました。北アフリカに近いことから、イタリアは地中海を渡るリスクを冒す人たちの主な目的地になっていて、多くの人が亡くなりました。

ガイ・デローニー(バルカン半島特派員):あの夏、セルビアでは、中東からの移民を路上でよく見かけました。バルカン・ルートを選んだ人たちで、ギリシャや北マケドニアを通って北上し、ドイツなどの国々を目指していました。

ララ・タハン(シリア人教師):私の2人の姉妹は、すでにドイツで暮らしていました。トルコには私と2人も子どもが求めている未来はないと気づき、もっといいチャンスを探して、ドイツに移動することを決めました。

ジェニー・ヒル(ベルリン特派員):ドイツは以前から戦争や迫害から逃れた人を受け入れていて、温かく迎える国だと言われていました。2015年9月初めに何千人もが到着すると、たくさんの人々が手書きのプラカードや贈り物を手に、列車から降りて来る疲れ切った人たちを迎えました。拍手や歓声が自然に起こり、素晴らしい瞬間でした。

Migrants arriving with approximately 800 others on a train from Hungary react to the welcoming cheers of onlookers at Munich
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ララ・タハン(シリア人教師):長く大変な旅の末に、ミュンヘンに着きました。土砂降りだったんです! それが最初に気づいた奇妙な事でした……夏に雨なんて! でも、難民を暖かく迎えてくれる、とてもいい人たちに会うことができました。

マディ・サヴィッジ(スウェーデン特派員):スウェーデンでも当時のムードは似ていて、世界で最も歓迎している国の1つといった感じでした。駅には「難民ようこそ」と書いた横断幕を掲げた人がいて、その前年には首相が国民に向かい、移民に心を開くよう要請する演説をしていました。

サマル・ジャビル(大学でエンジニアを学んだヨルダン人):大学ではいつも、スウェーデンがどれほど難民を歓迎しているかが話題になっていました。それでヨルダンを出たんです。命の危険があったので、そうするしかありませんでした。姉妹の1人がすでにスウェーデンにいて、その後、再会しました。到着した時、ついに自由だと思いました。

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欧州が対応:「何とかする」

ガイ・デローニー(バルカン半島特派員):大きな転機をとなったのは、北マケドニア当局がギリシャとの国境を越えてやって来ようとする人たちに向かって催涙弾を発射したことでした。圧倒されそうだったと、当局は説明しました。欧州が突然、日常に潜む問題に敏感になったようでした。

ニック・ソープ(中央ヨーロッパ特派員):ハンガリーでは、国境に柵を建設すると政府が発表しました。警察はブダペストの主要な鉄道駅を封鎖し、人々がそれ以上移動できないようにしました。しかしこの対策は、密入国業者に頼る人や違法行為を増やしました。

べサニー・ベル(オーストリア特派員):ハンガリーからオーストリアに向かっていたトラックの後部で、何十人もの移民の死体が発見されました。密入国の問題と、危機にある人々の懸命な思いをあからさまにした、衝撃的な瞬間でした。

ジェニー・ヒル(ベルリン特派員):トラックの件では、アンゲラ・メルケル首相も皆と同様、ショックを受けていました。この一件が、彼女に大きな影響を及ぼしたようでした。わずか数日後には、ドイツがその年に少なくとも80万人の難民を受け入れるだろうと述べました。そして、彼女のキャッチフレーズとなった「wir schaffen das」(何とかする)という言葉を初めて使いました。

Iraqi Kurdish men carry the coffin of a Kurdish migrant, who died in a lorry in Austria alongside other migrants in 2015
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ニック・ソープ(中央ヨーロッパ特派員):メルケル氏はオーストリア首相との合意のもと、ハンガリーで身動きが取れなくなっている人々を受け入れることに同意しました。数千人がブダペスト駅からウィーンへと行進したんです。ハンガリーの基本姿勢は、「これらの人々が欲しいなら、どうぞ」というものでした。

ララ・タハン(シリア人教師):ミュンヘンに着いた後、2カ所の難民キャンプを経て、(ドイツ中西部)ヘッセン州の小さな町に移動しました。そこで、難民が地域に溶け込むのを支援してくれるドイツ人たちと会いました。さまざまな場面でとてもよく助けてくれる人たちで、私は今もそこで暮らしています。

ジェニー・ヒル(ベルリン特派員):ドイツの姿勢は、新参者を全国各地に住まわせ、過度に集中する場所を作らないというものでした。現実には、各市長や当局が振り分けにあたりました。ただ、ボランティア運動が見事に高まり、それに支えられた面もありました。

マディ・サヴィッジ(スウェーデン特派員):スウェーデンでは、移民家族が地方の離れた土地に行くことになったり、一時的な宿泊場所を転々としたりすることがよくありました。新参者を暖かく迎えるのが一般的でしたが、社会資源に負担がかかっていることが明らかになるにつれ、それも変わり始めました。

ガイ・デローニー(バルカン半島特派員):バルカン・ルートはその後、2016年3月に閉鎖が宣言されました。それにより、人々の流れが減少しました。

マーク・ロウエン(トルコ特派員、2014~2019年):その数週間後にEUとトルコが至った合意は、極めて効果的でした。ギリシャの島々に到着したシリア難民をトルコが引き取り直せば、EUは数十億ユーロ規模の支援をトルコにするというものでした。移動する人が大きく減りました。

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仕事と住宅:「天国のようだと思っていた」

サマル・ジャビル(大学でエンジニアを学んだヨルダン人):スウェーデンでの生活は初めのうちとても大変で、難民認定されるまでは、人々に付け込まれるようなこともありました。今は法的地位がはっきりしていますし、学位も生かしたいと思っています。ただ、外国での資格はここでは認められないことを知りました。

マディ・サヴィッジ(スウェーデン特派員):たくさんの人がスウェーデンは天国だろうと考えていましたが、現実には予想より多くの困難に直面しています。高い教育を受け、見事な英語を話す移民でさえ、資格が認められないため苦労しています。

Migrants walk to a first registration point of the German federal police after they crossed the Austrian-German border in 2015
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サマル・ジャビル(大学でエンジニアを学んだヨルダン人):100件ほど仕事に応募しましたが、面接まで行ったことは1度もありません。そこで、求められていることをやろうと決心し、スウェーデンの学位を取るために学んでいます。将来を築き、独立したい。でも6年たっても、何も得られていません。

マディ・サヴィッジ(スウェーデン特派員):住まいと雇用は2大問題になっています。スウェーデンは主要都市で住宅事情が悪化しています。公営住宅の空きを何年も待つか、コネに頼るしかありません。

ジェニー・フィリモア(移民問題の教授):2015年の遺産の1つは、住宅などの問題で人々が創造的な取り組みを生み出したことです。(ドイツの)ハンブルクやブレーメンでは、輸送船のコンテナを移民向けの住居に変えました。(オランダの)アムステルダムでは、似たような「コンテナ都市」を作り、半分はオランダ人、半分は難民を住まわせました。ただ、それでも問題は残っています。

マディ・サヴィッジ(スウェーデン特派員):失業率を比べると、外国出身の市民が21.2%なのに対し、スウェーデン生まれは5.5%です。移民に闇市場の仕事をさせないため、規制を緩めて就労しやすくすべきか、議論が続いています。

サマル・ジャビル(大学でエンジニアを学んだヨルダン人):安定を感じることができません。何かをするたび、別のことを求められるような感覚なんです! 家にいて仕事をしたくないんだろうと思いますか? みんな働きたいんです。でも何もありません。

ジェニー・ヒル(ベルリン特派員):ドイツは高齢化問題を抱えていて、移民が熟練労働者の不足を補ってくれると考える人もいます。シーメンスのような大企業は、実習制度を始めました。ただ、問題はつきもので、数年間は移民問題が社会の主要議題となりました。

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政治的副産物:「共感疲れが根付いた」

ジェニー・ヒル(ベルリン特派員):難民申請者による犯罪がメディアをにぎわせました。2015年の大みそかにケルンで起きた、北アフリカからの移民を主体とした男たちによる若い女性の襲撃事件は、大きな怒りを呼びました。チュニジアから難民申請者としてヨーロッパに渡って来た男が、ベルリンでクリスマスの買い物客らを襲った事件も同じです。

マディ・サヴィッジ(スウェーデン特派員):スウェーデンでも、犯罪が移民をめぐる議論の一部になっています。注目を集める事件がいくつか起きましたが、警察は移民の多い特定の地域で発生した犯罪は、最近の移民によるものではなく、犯罪組織やギャングによるものがほとんどだとしています。

ジェニー・ヒル(ベルリン特派員):メルケルの「何とかする」という方針に反発が起こり、反移民を掲げる政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が党勢を伸ばすと、彼女はそのスローガンを取り下げました。「Flüchtlingspolitik」(難民政治)が社会を分断させています。

Left wing activists protest against supporters of the Alternative fuer Deutschland (Alternative for Germany) political party in 2015
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ジュリアン・ミグリエリニ(BBC記者、ローマ):イタリアでは、危機的な時期にEUや欧州諸国と十分な協力ができていないと思われた状況を、ナショナリストが利用しました。彼らは反移民感情を言葉にし、それが多くのイタリア人の心に響いたんです。以来、ナショナリストは選挙で好成績をあげています。

ダフニ・ハリキオプロウ(欧州政治の教授):経済危機から始まり、移民危機へと続く欧州のトレンドは、主流派が衰え、ナショナリストの政策が力を増していることを示しています。

マディ・サヴィッジ(スウェーデン特派員):ナショナリストのスウェーデン民主党は、難民危機以来、注目が高まっており、人気も集めています。反移民の意見を表明することは以前より受け入れられていて、中道左派政党でさえ、移民の人数制限を政策に採用しています。

べサニー・ベル(オーストリア特派員):難民危機は、オーストリアの政治も大きく変えました。セバスティアン・クルツ首相にとって、反移民は大きなテーマになっています。反移民のメッセージを発することで、2つの選挙に勝ち、極右から票を奪いました。彼の保守的な政党にとっては、今なお主要問題となっています。

ダフニ・ハリキオプロウ(欧州政治の教授):移民の数と、特定の政党の得票には、相関関係があまり見られません。より重要なのは、この危機を有権者がどう捉え、どう描かれるかです。この意味において、各政党はこれまでになかった方法で、主流政治に影響を及ぼしています。

ガイ・デローニー(バルカン半島特派員):ナショナリストの政治家には、この危機を支持拡大につなげようと狙う人もいます。一般的に、バルカン・ルートを北上して来た人々の苦難への同情は弱まっているようにみえます。人々は難民施設に抗議していますし、共感疲れが根付いています。

ニック・ソープ(中央ヨーロッパ特派員):ハンガリーでは、保守的な政党フィデスによる政権が、難民危機を支持拡大に利用しています。これに好調な経済が組み合わさり、2018年の選挙では同政権は磐石でした。

ダフニ・ハリキオプロウ(欧州政治の教授):移民危機の影響は、(ナショナリスト)政党の支持拡大という面から理解されることがほとんどです。それらの政党が政治の主流に組み込まれていく動きが、今後も続いていくと思います。

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学校と融合:「ここで人生を築きたい」

ジェニー・フィリモア(移民問題の教授):移民が多いスウェーデンやドイツなどでは、移民の融合問題において、あまり整然とした取り組みは見られませんでした。それでも、地域に根付いた大規模なボランティア活動が発生したのは、この状況で生まれたポジティブな事の1つでした。

マディ・サヴィッジ(スウェーデン特派員):ただ、移民が社会的階段を上るのは困難なままです。こちらにやって来て就労時期を迎える子どもたちがどれくらいうまくやっていけるのか、そのうちにわかります。

ジェニー・フィリモア(移民問題の教授):そのときスウェーデンは、これまでの対応が成功したのかどうか、知ることになります。スウェーデンは高齢化が進んでいて、突如として能力のある4万人の若者を迎え入れたことは、大きな成功になるかもしれません。

A woman holds her child as she arrived with other refugees on the shores of the Greek island of Lesbos
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ジェニー・ヒル(ベルリン特派員):ドイツでは学校の教師を増やすため、追加採用をしたり、転職した人に早期の訓練をさせたりしました。共通の言葉を話せない子どもたちのために、新たなクラスも設置されました。

ララ・タハン(シリア人教師):私の娘はここドイツの学校でとてもよくやっています。私も娘もドイツ語を流ちょうに話しますし、友だちもたくさんいます。大きな希望をもっている娘には、私より活躍してほしいです。

ジェニー・ヒル(ベルリン特派員):移民の多くは融合し、ドイツ語を学び、新たな生活を確立しました。決して完璧ではありませんし、まだ問題は山積していますが、シリア人やイラク人、それ以外の人たち数十万人が根を張りつつあります。

マーク・ロウエン(トルコ特派員、2014~2019年):イスタンブールの街の構成がすっかり変わりました。シリア人の店やレストラン、カフェばかりが並ぶ通りが現れました。シリア人の多くは、トルコに住み続けたいと思っています。すっかり落ち着いたし、安全な国だからです。

サマル・ジャビル(大学でエンジニアを学んだヨルダン人):スウェーデンはとても寛大な国です。おかげで私は変わりました。以前はいろんなことを恐れていましたが、今は違います。修士号取得を目指して学ぶつもりで、夢を実現させたいと願っています。

ララ・タハン(シリア人教師):私はドイツのパスポートを手に入れるのを楽しみにしています。私たちはいい生活を送り、尊厳をもって安全な環境で暮らすため、ここに来る決心をしました。ここでの生活はとてもよいものです。

一部の氏名は身元が判明しないように変えてあります。

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September 01, 2020 at 12:48PM
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