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Thursday, July 9, 2020

とにかく「変えたいだけ」?本末転倒に感じる自民党の憲法論議 - livedoor

「もやウィン」のセリフから見えること

毎年5月になると風物詩のように、自民党総裁の口から繰り出される言葉がある。憲法記念日における「憲法議論をしなくてはならない」というセリフだ。

自民党はこれまでも様々な形で改憲キャンペーンを行ってきたが、今年は四コマ漫画でキャンペーンを行い、これまでにない規模で「炎上」した。

炎上の原因は、キャンペーンに登場したキャラクター「もやウィン」。名前の通りダーウィンを模したキャラだったのだが、彼がダーウィンのものとして引用した「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できるものである」というセリフが、実はダーウィンのものではないと専門家から指摘があったのだ。

自民党のサイトより引用

もやウィンは「変化すること」の大切さを説いたわけだが、このキャラクターはその主張によって図らずも、自民党にとっての改憲が、「具体的な問題が起きているので憲法を変える」性質のものではなく、「憲法を変えることそれ自体が目的」だということを、明確にしてしまった。

もやウィンは第二話・第三話においても、「十七条憲法は憲法と似たもの」「人に迷惑をかけたり、法律に触れない限り基本的人権は守られる」などの発言を連発している。

もはやダーウィンを模している意味もないわけだが、「人に迷惑をかけたり、法律に触れない限り」基本的人権を守る、というのが自民党憲法改正推進本部の主張ということになるのだろうか。

ダーウィンが生まれた時代にはすでにフランス人権宣言が存在したのだが、もやウィンはダーウィンよりも古い時代の人なのかもしれない。

とにかく「変えたいだけ」

自民党が今年の改憲キャンペーンのために作ったWebサイト「教えて!もやウィン 憲法改正ってなぁに?」によると、改憲についての「自民党の提案」にはそこには4つの項目がある(これは、おそらく2018年に自民党が発表した論点取りまとめと同一のものだ)。

1.憲法上の自衛隊の明記
2.緊急事態の強化
3.参議院の合区解消
4.教育環境の充実

いかに自民党が憲法を「変えたいだけ」であるかは、これらを検討すればわかる。

順番が前後するが、まず4(教育環境の充実)を見てみよう。サイトの説明によれば、自民党は「人口減少社会では“人づくり”の重要性はますます高まる。教育の重要性を国の理念として位置づけ、国民誰もがその機会を享受できるようにする」と主張している。

〔PHOTO〕iStock

しかしこうした条文を加えることになんの意味があるのだろうか。

現状、国民の3大義務として教育を受けさせる義務が、納税と勤労と同一のもとして規定されている。であるにもかかわらず、屋上屋を架すように新たな条文を憲法に記載する意味は薄いと言える。

また、憲法89条を厳密に解釈すると私立学校への助成(私学助成)が禁止されている可能性があるから改憲が必要という議論が(一部に)ある。しかし、すでにスムーズに助成が行われているにもかかわらず、わざわざ政府が「違憲かもしれない」と問題提起し、改憲の理由とするのは本末転倒の感がある。

次に3(参議院の合区解消)はどうか。これは「一票の格差」問題ゆえに行われた選挙区の「合区」を解消しようという主張だが、参議院のみ特定の地域住民に強い権能を付与することになってしまう。これは、国民主権の原則から考えればかなり危うい。住んでいる地域での「一票の格差」を認めることが許されるのだろうか。

そもそも、参議院の合区は、最高裁の「違憲状態」との判決を受けてのものであり、その判決は、一票の格差が憲法14条の「法の下の平等」に触れるという判断からである。法の下の平等は日本国憲法の重要な原則であり、守るべき理念だ。いくら条項を新設したとしても、結局は違憲のそしりは免れないだろう。

端的に言えば、これら二つの項目は、4が「教育」を入れることで反対しづらい雰囲気を作るためのもの、3が自民党の選挙区事情を改善するためのものであり、公益性は薄いと考えられる。

〔PHOTO〕iStock

改憲へのこだわり

2の緊急事態条項については、数多く議論されているが、そもそも東日本大震災や今回のコロナウイルスにおいても、国会を止めることなく政府は対応を行っていたことから、必要性に疑問符がつく。

憲法学者の木村草太・東京都立大教授もこの条項について「内閣独裁権条項」と指摘しており、過剰な権限を行政に与えることはむしろ、危機対応を遅くする可能性すらある。

こうして、改憲の必要性に疑問符がつく項目を取り除いていくと、残ったのは1の「自衛隊を憲法に記載する」という項目だ。

「改憲キャンペーン」の中では、

(1)合憲と言う憲法学者は少なく、(2)中学校の大半の教科書が違憲論に触れており、(3)政党の中には自衛隊を違憲と主張するものもある

というのが改憲の理由となっている。

安倍総裁が好んで語るエピソードに、「自衛隊員の息子が『お父さん、違憲なの?』と涙ながらに聞いてきた」というものがある。自衛隊を憲法に明記することは、情緒的にも、理念的にも、自民党のコアと言っていい。

映画『メメント』と自民党

唐突だが、クリストファー・ノーラン監督、ガイ・ピアース主演の『メメント』という映画がある。思いっきりネタバレをするので、気になる方は先に見てほしい(今なら配信サービスで気軽に見られるだろう)。

主人公は、記憶を短い期間しか保持できない「前向性健忘」である。彼は妻を殺した男「ジョン・G」を追いかけ、重要なことは忘れないよう、身体にメモを貼っている。

我々は何を記憶し、何を忘れるかということを選べないが、主人公は「自分が何を記憶したいか」を選べるのだ。メモを外してしまえばそれは彼にとって「なかったこと」になる。

映画のクライマックスでどんでん返し的に明らかになるのは、主人公は、実はもうすでに「ジョン・G」なる男を見つけ出し、殺していたという衝撃の事実である。復讐は終わっていたのだ。しかし、彼は自分自身でその記憶を定着させることを拒んでいたのだ。

主人公にとって復讐は生きる目標だった。その復讐が完了すれば、生きる目的を失ってしまう……。だからこそ、すでに復讐を遂げてしまったという記憶を放棄し、彼は永遠の復讐に身を投じることを選んだのだ。

自民党にとって「生きる目標」と言えるのは、改憲と自主憲法の制定だ。

そもそも1955年に行われた自由党と民主党の「保守合同」は、保守勢力で国会の2/3を占め、憲法を変えるという目的を有していた。そこで実現しようとしたものの中心の一つが「自衛隊の合憲化」だった。

もう「復讐」は終わっているのではないか

1955年の保守合同以来、自衛隊と日米安保は、右派と左派にとっては常に対立軸であり続けた。右派を追い出し硬直化した社会党は、日米安保の破棄と非武装中立論を唱え続けた。一方、自民党はそんな社会党を脅威と感じた。アメリカとソ連の対立の中で、常に議論の的は自衛隊の合憲性であった。

しかし、ソ連が崩壊した1990年代、社会党もそれとともに存在感を失った。日本新党やさきがけ、新生党などの新党が台頭し、社会党が縮小するなかで政権交代が起きた。

その後、自民党と社会党は連立を組んだ。首班、そして「自衛隊の指揮官」には、村山富市・社会党書記長がついた。村山首相は「自衛隊は憲法の認めるものだ」「非武装中立は過去のものだ」と述べ、ここに1955年以来の自衛隊を巡る論議は、実質的に終わった。

野党は再び民主党を中心として2009年に政権交代を起こした。

かつての野党第一党であった社会党は社民党と名前を変えて小政党になっていた。2006年に一時「自衛隊は違憲」としたものの、入閣した福島瑞穂・社民党党首は国会で追及され、自衛隊の合憲性を(しぶしぶ)認めた。

とっくの昔に、自衛隊合憲の自民党vs非武装中立で自衛隊を違憲とする社会党、という戦いには決着がついているのだ。

村山富市元首相〔PHOTO〕Gettyimages

もはや国会に自衛隊違憲を唱える議員はいない。社民党は2013年に実力組織である自衛隊を認め、共産党すら自衛隊について「廃止は主張しない」としている。

誰が見ても、自民党の完全勝利である。

しかし、自民党は『メメント』の主人公よろしく、その勝利の記憶を捨て去ってしまった。自民党にとって、改憲、自主憲法の制定は悲願であり存在意義だ。そのためには、自衛隊の合憲性をめぐって議論があることにしなくてはいけない。

そこで、前述したように「憲法学者が違憲論を唱え、教科書にも違憲論が載っている」という憲法学者や教育現場をワラ人形にした理屈を繰り出し、いまだに合憲性に議論があるかのごとき議論を展開し、「だから改憲が必要だ」とソンビのように主張しているのだ。

しかし、違憲であると主張する学者の意見を取り入れ、あえて議論を起こし、憲法を変えようとする態度は、自民党のこれまでのあり方と奇怪な「捻れ」を見せる。憲法学者の意見を重んじるなら、集団的自衛権は(憲法学者のほぼ全員が違憲としていたのだから)論理的には立法すべきでなかったはずだ。

自民党にとって憲法学者は重要なのだろう。意見を聞く相手ではなく、戦うべき「敵」として。

正面から議論してほしい

国民圧倒的多数が自衛隊を当然のものと受け入れ、かつ主要政党すべてが自衛隊の合憲性を議論の対象にしていない以上、どの政党が政権についても自衛隊が廃止される可能性は極めて低い。

もちろん、憲法論議自体は必要である。実際に、憲法9条が様々な面で日本の安全保障に影響していることは自明だ。

憲法9条により「軍隊」でないとされているから、いわゆる軍法裁判所がない。また、他国や国連とのミッションに参加できないケースもあるだろう。人道的に必要な派兵に、日本が十分に協力できないのは道義的に正しいのか? という論点もある。

〔PHOTO〕iStock

敵基地攻撃などの軍事オプションが必要だと考える立場からは、9条は重大な制約だろう。

同時に、憲法9条により自衛隊が抑制的であったゆえに、ベトナム戦争や朝鮮戦争などに一定以上には巻き込まれなかったことや、外交上でのメリットがあったという説についても留意しておくべきだろう。軽武装がもたらした恩恵も、少なくない。何より、多くの人命が失われるような大規模な戦闘を避けられたこと。これは、国民の自衛隊への高い支持にもつながったのではないだろうか。

9条は様々な論点がある条文であり、必要なのは真正面の議論である。変えるか変えないか、だけが議論されるべきではない。なぜ変える必要があるのかを真剣に考えるべきだし、改憲議論をしたいなら、その点について丁寧に説明をすべきだろう。

すでに非武装中立論も、日本社会党も、ソビエト連邦もない。自衛隊廃止を唱える議員も存在しない。だからこそ、改憲論者は「お父さん、違憲なの?」というシチュエーションや、「変わるものが生き残る」というタームを必要とした。

もし本当に「改憲」自体を目標にするのであれば、安倍晋三総裁、そして与党は野党の提言に真摯に耳を傾け、解散権の成約など、権力を縛るという憲法の機能をより強化するような方向性も検討しながら、正々堂々と憲法議論をすすめるべきはないか。

そのようなテーマであれば改憲の可能性は充分にある。憲法改正は、衆参両院の2/3という高いハードルを超えて初めて改正できる。それは、本質的に与野党合意の上で行われるよう、制度設計が行われているということだ。改憲は対立事項ではなく、議会の総意であるべきなのだ。

結局のところ、「議論すべき」と語られている憲法議論とは、一体何なのか。自民党結党から65年を経て「何を変えるべきか」ということが国民に浸透していないのなら、改憲議論そのものの存在意義こそ、憲法記念日に問われるべきなのではないか。

折しも、この原稿を書いているときに九州の豪雨災害が発生し、自衛隊の方々が様々な形で、不眠不休で人命救助を行っている。実態のない改憲議論により自衛隊の合憲解釈を揺らがせることは、責任政党として慎むべきではないか。

変えること、変わることのみに焦点を当てた議論は空虚である。「もやウィン」のキャンペーンは、図らずもそんな現状を映し出したのではないだろうか。

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July 10, 2020 at 04:00AM
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