
これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米。巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストが、さまざまな人の人生、LIFE SHIFTを伝えていく。第36回は、長野県松本市の臥雲義尚(がうん・よしなお)市長のLIFE SHIFT。
原点は東大野球部
「ピンチなんだよ、そりゃ。でも、そのピンチをチャンスに変える。それを考えることじゃないか」 4ヵ月前に就任したばかりの松本市の市長は言った。8月末の夜は、まだ涼しいと言う感じではない。宵の口で、通りの先にあるだろう松本城は見えない。 淡いブルーのスーツのノーネクタイ姿に黒いバックパックを背にしている。バックバックは教員をしている夫人が買ってくれたものと地元紙が書いていた。恐らく、市政の案件を詰め込んで持ち帰るのだろう。 市長の名は臥雲義尚(57)。NHKで政治記者として名をはせたが、地元・松本市の市長選挙に出るために退職。一度は敗れるも、4年間の浪人生活を経て当選。それは同時に新型コロナという未曽有の危機に向き合う行政トップへの就任だった。 それはどういうものなのか? それを聞きたくて、松本市に向かったのは8月27日。指定された午後4時に松本市役所に行くと、直ぐに市長室の前の広い会議室に通された。古めかしい部屋で、壁には歴代の市長の顔写真。一番右端が前任者の菅谷 昭だ。その先が市長室だ。 「ちょっと打ち合わせが長引いていてすみません。かけてお待ちください」 そう秘書課長に言われたが、直ぐに職員が出てきた。同時に、「立岩、久しぶり」と声がかかった。ドアの向こうにマスク姿の臥雲が立っていた。 臥雲はNHKの先輩だ。政治部の臥雲と社会部の私は一緒に仕事をしたことはないが、大阪で勤務した時に、重なったことがある。それでも臥雲は政治担当デスク、私は司法キャップで外にいたので、ほとんど顔を合わせることはなかった。それでも一度、一緒に食事をしたのを覚えている。 「いつ以来だ? まさか、大阪以来じゃないよな?」 市長室の応接セットに腰かけると臥雲がそう水を向けた。 「こうやって話をするのは大阪以来ですね。あのBK(NHK大阪放送局のコールサイン)近くのレストランで一緒に飲んだ……」 「覚えているよ。その後は、遊軍プロジェクト長の時、立岩の案件を遊軍プロジェクトでやろうという話になって。立岩は国際放送局だったな」 「はい。結果的にあれがパナマ文書のプロジェクトになりましたね」 と、NHKの昔ばなしをしにきたわけではないので、本題に入るが、その前に臥雲の経歴を簡単に記しておく。 生まれも育ちも松本市。両親は蚕の食べる葉を切る機械を製造・販売していた。しかし養蚕業が衰退する中で廃業し、土産物屋を営んでいたという。松本は教育熱心な土地柄で知られる。日本で最も古い小学校の一つである旧開智学校は教科書の写真などで一度は目にしているだろう。臥雲はその流れを汲む松本市立開智学校を出て名門の松本深志高校を卒業。この間、野球部で主将を務めるなど野球に打ち込んだ。
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September 29, 2020 at 06:48AM
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NHK政治記者出身の松本市長・臥雲義尚【元NHK記者・立岩陽一郎】(GOETHE) - Yahoo!ニュース
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