
天才プロデューサー小室哲哉の登場
1970年代から1980年代にかけて、多くの音楽番組が放送され、歌謡曲やアイドルこそがメインストリームだった。しかし、1987年におニャン子クラブの解散したあたりから、風向きが変わってくる。昭和から平成に変わるとともに、多くの音楽番組も終わり、アイドル冬の時代が到来する。同志社女子大学メディア創造学科教授の影山貴彦さんが解説する。 「80年代後半から90年代にかけては、BOOWY(※)など空前のバンドブームが起こり、歌手の活動の場は、テレビからライブ中心となりました」(影山さん・以下同) ※「BOOWY」の2つ目の「O」はストローク符号付きの「O」が正式表記 そんな中、1つのバラエティー番組が流れを変える。それが、1992年に始まった『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)だ。 「この番組は途中から2部構成になり、前半は浅草キッドが司会で若者文化を紹介する『浅ヤン』、後半は司会をナインティナインが務め、小室哲哉さんがプロデュースを手掛ける『コムロギャルソン』いうオーディションコーナーでした」 同コーナーは小室プロデュースのもと、歌手デビューができるとあって人気を博す。これが、1990年代のオーディション番組の金字塔といわれる『ASAYAN』の前身だ。 立ち上げから制作にかかわっていた放送作家の鮫肌文殊さんは、当時を次のように振り返る。 「番組の前半と後半では、視聴率的にも世間的な話題性でも、圧倒的に後半が人気でした。当時はオーディション番組がほかになかったこともあり、リニューアルのタイミングで、いっそのこと1時間番組にしてしまおうと始まったのですが、それは正解でしたね」(鮫肌さん・以下同) 先のコーナーばかりではなく、小室は1990年代初頭にプロデューサーとしての手腕を発揮。TRFや篠原涼子(46才)、華原朋美(45才)、安室奈美恵(42才)などを手掛け、ミリオンヒットを連発していた。 「当時の小室さんは多忙を極めていた時代。ひらめきタイプの彼は、朝と夜では言うことが違うのは当たり前。まだバブルの名残のある時期で、番組スタッフが打ち合わせのためにわざわざ小室さんのスタジオがあるロサンゼルスまで行っても、まったく時間をとってもらえないこともありました。 そこで、それを逆手にとって、われわれ番組スタッフが小室哲哉という天才に振り回される状況をそのまま放送していたのですが、それがウケたんです」
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August 15, 2020 at 05:08AM
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