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Tuesday, August 4, 2020

就任当初、「操り人形」扱いされたイタリアのジュゼッペ・コンテ首相はいかにして今のイタリアに欠かせぬ指導者になったのか? - ニフティニュース

◆その地位を確立しつつあるジュゼッペ・コンテ伊首相

 イタリアの首相の任期は非常に短い。ジュセッペ・コンテ現首相は戦後66代目の首相だ。首相の任期は平均して14か月。イタリアの議会はこれまで上院と下院が対等な関係にあり、多党化でしかも議員の鞍替えも頻繁に起きる。だから安定した政権がなかなか作れないという状況にある。

 ところが、政界には全く無縁であったジュセッペ・コンテが首相になってから、彼の政権はすでに26か月続いている。つい最近もEU首脳会議でコロナ救援金で最大額がイタリアに付与されることになったということで、コンテは上下院で拍手で迎えられるという出来事もあった。(参照:「NIUS」)

◆影の薄い「操り人形」扱いだった就任当初

 2018年にポピュリズム政党である五つ星運動と極右の同盟が連立政権を擁立する際に双方の合意で最初に首相候補に選ばれたのがパオロ・サボナであった。ところが、彼はEU懐疑派だということでマッタレッラ大統領はそれを受理しなかった。そこで次に選ばれたのがコンテであった。

 コンテはフィレンツェ大学で法学部の教授で、五つ星運動の動きに関心を持っていた。しかも、彼の嘗ての生徒の中に現ローマ市長ヴィルジニア・ラッジやその他同党の議員が数名いた。それがコンテを五つ星運動への接近を容易にさせた。同盟にとってもコンテはおとなしい学者だとみなして与し易い相手、すなわち操り人形として動いてもらうには都合が良いと考えたようだ。それで同盟は五つ星運動が首相候補に擁立したコンテを受け入れた。法律家出身のマッタレッラ大統領にとっても彼が法学部の教授ということで親近感を持って彼を受け入れた。2018年6月にコンテは首相に就任した。

 連立政権が誕生してからも同盟のサルビニと五つ星運動のディマイオの両副首相の対立は続いた。その中でコンテはうまく均衡を保って政権を運営し続けた。サルビニが内相として難民の受け入れを拒否し続けるのを前にして、彼らを受けいれる国を探そうとコンテは表明して人情味のある姿勢も示した。それでも彼の独自のカラーを政権に出すことはできず、昨年2月の欧州議会においてイタリアがベネズエラのグアイドー暫定大統領を承認しない姿勢を表明した時には、欧州自由同盟のリーダーフェルホスタットから「いつまでサルビニとディマイオの操り人形であり続けるのか?」と批判されたこともあった。

 しかし、彼の政治にバランスを求める姿勢と誠実さは国民からの次第に評価されるようになっていった。同盟と五つ星運動の政権が崩壊して同盟が他右派2政党と連合して政権を獲得しようとした時も、最大議席数を持つ五つ星運動はレンツィー元首相の仲介で民主党との政権擁立に動いた。その際にも民主党は首相としてコンテを受け入れた。民主党も同盟ほどの差はないが、五つ星運動とは政治イデオロギーにおいて違いがある。そこでその双方の違いを埋めるにはバランスを常に維持できるコンテしか首相が務まる人物はいないと民主党も認めたのである。

◆「敵を作らぬ温厚派」なコンテ

 コンテのこのバランスを取るのがうまい秘訣は彼が弁護士として活躍した時に培われたようだ。しかも、彼には敵がいないし、敵ができないほどに温厚派でもある。しかし、物事の本質をつかむのは非常にうまく、それでもって相手を説得していくタイプだとされている。

 また、法学の専門家ということで書類の詳細まで把握し、合点の行かない箇所があればそれを変えるのに1時間でも2時間でも議論し続けることを厭わない人物だとされている。

 ということで、今回のEU首脳会議においても自分が納得する結果が得られないようであればイタリアには戻らないという姿勢で臨んだという。だから、イタリアやスペインへの支援を渋るオランダのルッテ首相に対しても、「あなたがEUの崩壊を導く張本人になるかもしれない」と述べて、ルッテ首相の頑固さにくぎを刺した場面もあった。「コンテの抵抗力と仕事をこなす能力は異常なほどだ」と側近の一人が語っている。

◆「よく聞く姿勢ももっていて偏見がない」と他党からの評価

 民主党出身の閣僚のひとりは「彼はよく聞く姿勢ももっていて偏見がない。考えを変えればより価値あるものが達成できると判断できれば、それを変更することに抵抗なくできる。だから閣僚会議はいつも長時間かかるのだ。ベルルスコニーの時は数分で終わっていた」と述べている。(参照:「El Pais」)

 今回のEU首脳会議でもコンテは常にメルケル独首相とマクロン仏大統領を味方につけた。更に、スペインのサンチェス首相とは緊密に連絡を取り合っているという。コンテには相手が猜疑心を持たずに接触できる魅力があるということだ。

 さらに、最近のイタリアの首相に欠けていた要素、つまり「バチカンを味方につける」ことをコンテはなし得ている。コンテがローマで法学を修学していた時のビーリャ・ナザレス学生寮での仲間の一人がバチカンのフランシスコ法王の右腕ピエトロ・パロリン枢機卿であった縁からバチカンともコンテは強いパイプをもっている。パロリン枢機卿は現在バチカンで国務長官のポストにある。これまでの首相でバチカンと強い絆をもっていたのはジュリオ・アンドゥレオティーとロマノ・プロディーだ。この二人はイタリア政界で重鎮だった。

 現在のコンテの国民からの人気は1994年第一次内閣を発足させた時のベルルスコニーの人気に迫るものだとされている。彗星のごとく現れたイタリア政界では全く無名だった人物が現在イタリアの政治にはなくてはならない人物となっている。

<文/白石和幸>

【白石和幸】

しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身

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August 04, 2020 at 01:33PM
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