
4月下旬から浮上した「9月入学論」で必ず引き合いに出されたのが、10年近く前に大議論になった東大の秋入学構想だった。当事者である当時の総長、濱田純一氏が当時の秋入学構想を振り返り、日本の大学や社会に求められることを語る。(聞き手・中村正史)
話を伺った人 濱田純一さん 東京大学名誉教授・前総長/放送倫理・番組向上機構(BPO)理事長/映画倫理機構理事長
(はまだ・じゅんいち)1950年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒、同大学院法学政治学研究科で憲法を専攻。法学博士号取得。同新聞研究所教授、社会情報研究所長、大学院情報学環長・学際情報学府長、副学長を経て、2009~15年、東京大学総長。
学びの保障とグローバル化は切り離すべき
――4月下旬、新型コロナウイルスで休校が長引いた高校生が「9月を学期始めにしてほしい」とネット上で署名活動を始めたのをきっかけに、知事らが賛同して「9月入学論」が浮上しました。東大の秋入学構想からおよそ10年。いったん消えた魂がよみがえったようなものですが、どう受け止めましたか。 二つの感情が入り交じりました。一つは、9月入学という発想が人々の意識の中に根付いてきているという感慨です。10年近く前の東大の秋入学構想が社会的に大きな話題となったことで身近な考え方となり、今回あり得る選択肢として自然に浮上したのだと思います。 同時に東大の秋入学構想に関わった自分の経験から、9月入学というのは教育のあり方を変えたり、社会の仕組みや意識を変えたりする大仕事なのに、そこまで真剣に考えて言っているのかという不安、心配を感じました。 ――今回出てきた議論は小中高大を一気に9月入学にしようということです。 遅れた学びを取り戻すことと、グローバル化に対応することは一緒にすべきではありません。学びの保障はすぐに対処がなされなければいけない目前の課題ですが、グローバル化の方は効果が見えるまでに相当時間がかかります。また、大学のグローバル化はイメージがわきやすいですが、小中高を含めた9月入学となると、何を目指しているのか、どういう教育や社会のあり方を考えているのか、そこが十分に見えずに落差を感じました。 ――9月入学の導入は大ごとであるということですか。 それが私の実感です。大学だけに限っても9月入学の導入は、単なる思いつきではない、教育や社会の未来をつくろうとする覚悟が要ります。単に学事暦上で入学時期を4月から9月に変更するだけだと思ってはいけない。それは、海外との学生交流がスムーズになるということを超えて、教育や社会のあり方をグローバルな刺激にさらすことになる。自分たちの今までのやり方や習慣を変えることになる、社会の仕組みに変化を促すことになります。 教育面だけでも、高校・大学間のシームレスな接続、入試の際の選抜の仕組みや評価基準の見直し、修学期間の柔軟化、人生における余裕や多様な経験の大切さの再認識など、価値観にも転換を迫られるでしょう。そこまでの覚悟を決めないことにはできないことだと、いま改めて思います。秋入学への取り組みを進めていた当時、これは「社会運動」「社会プロジェクト」だといったようなことを話した記憶があります。 ――今回の9月入学論が、コロナによって休校が続く混乱の中で出てきたことから、優先すべきは学びの保障であり、今は9月入学を検討する時ではないという意見も多いです。 それは至極もっともだし、同時にそこで止まってはいけない議論だと思います。今は何より生徒の学びの保障をしなければいけないというのは切迫した必要事項で、そのために一つの選択肢として9月入学があるかもしれませんが、とにかくただちに実効性のある措置が必要です。9月入学にこだわる必要はありません。 止まってはいけないというのは、物事が落ち着いてしまうと、9月入学の意義を検討しようとする意欲をなくしてしまう。まあ、よくあることです。ですから、目の前の生徒の学びの保障を確保する具体策を立てていくことを最優先にすると同時に、ポスト・コロナの時代も展望しながら、9月入学を腰を据え肝を据えて考えていくべきだと思います。
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June 12, 2020 at 10:10AM
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濱田純一・東大前総長「価値観を変える覚悟がなければ9月入学はできない」(朝日新聞EduA) - Yahoo!ニュース
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